2009.01.14 (Wed)
留年ついでに。
大晦日か元日に父親と話してて、
環境系に進みたいけど化学は無理だし環境NPOで企業の教育とかするのも嫌だしみたいな話をしてたら
食品の品質管理とかどう?って言われました。
あんまり環境環境って視野を狭くするんじゃなくて。
食品は環境にも結びつきが深いし、水質とか土壌とか添加物とか色々できるんじゃないかと。
一応普通の企業も考えてはいたけど、食品は思い浮かばなかったなー。
一番の収穫は、
食品の品質管理という立場から国の原子力政策に反対できるのがわかったこと。
チェルノブイリのせいでヨーロッパの大地は放射性物質に汚染されてしまった。
その土地でできる食物からは多少なりとも放射能が検出されていて(私の大好きな輸入ワインやチーズにも勿論含まれている)、しかしそれでも現地の人は自分達の土地と付き合っていく覚悟をしてる。
でないとどうしようもないから。食糧生産をやめることなんて、毎日の食事の上でも経済の上でもできるはずがない。彼らはしなくていい覚悟を強いられ、負わなくていいリスクを負わされている。
日本の大地も同じようなことにしたいんですか?
日本で採れる牛乳や、野菜や、卵や、肉や、魚。
私達は食べなければ死んでしまうのに、生きるために食べるのに、
ごはんを食べたら死んでしまう、どうしてそんな世の中にしたがるのか!
という、とてもわかりやすいロジックが組み立てられることに気づきました。
「安全に安全を重ねて・・・」と言われるかもしれないけれど、完璧な安全なんてない。
チェルノブイリだって安全に安全を重ねていたはずだ、少なくとも対外的には。
どんな政策にも完璧はない。
そのためにオルタナティブがある。
日本は、安全です、安全です、と言いながら、たった1つの政策をひたすら推し進めていく。代替案なんか考えずに。その政策が失敗する可能性を頭の中から追い出して。
そうして積み上がった今の社会は何だ?
ネタ的な言い回しだけど、「誰が得するの?この世界。」
今儲けてる人だって、最終的には得しないよ。自分で自分の首を絞め続けている。
ちょっとだけ、ちょっとだけだけど、
どこかの原子力発電所がチェルノブイリみたいに放射能撒き散らして甚大な被害が出てしまえばいいのに、と思っている。
そしたら、四大公害病のときみたく、メディアはばんばん報道するだろうし、我らが貧弱な公共圏も強くなるだろうし、政府も方向転換せざるをえなくなる。
日本はいつも「起こってから」じゃないと動かない。
私みたいな社会不適合者はその事故で死んでもいいからさ、頼むから盛り上がってくれよ、世論。
ほんと、大切な人が死んでからじゃ遅いんだからさ。
畑で採れる野菜を食べてた子どもが白血病になって苦しみながら死ぬとかさ、水俣病の二の舞だよ。
お母さんは子どもに栄養とらせようと必死になって野菜食べさせて悪化させたりするんだ。もうそんなの聞きたくないよ。
「あそこでとれたものを食べると死ぬ」とか言われて農家は生活さえままならなくなって、近隣住民は「その子が病気になったって知れたらうちの野菜も売れなくなるんだ!絶対病院に連れて行くなよ!」なんて言われたり、親が発症したら子どもが「病院に行ったら親子の縁を切る」とか言い出すんだぜ。
全部水俣で起きた本当の話だよ。今は昔ほど閉鎖的じゃなくなったといっても、農村の実情は私達にはわからない。歴史は繰り返すかもしれない。
というか、青森県六ヶ所村の構造は水俣病にとてもよく似ていて
(水俣:チッソ工場で働く人やその家族が多く、村人のほとんどがチッソと何らかのつながりを持っていた→表立ってチッソに抗議できない
六ヶ所村:核燃サイクル施設で働く人やその家族が多く、村人の多くが日本原燃グループと何らかのつながりを持っている→表立って核燃サイクル政策に反対できない)
さらに悪いことに、核燃サイクルは国からがつんがつん背中を押されている状態。電源三法交付金もあって自治体も今更反対なんて言えない。六ヶ所村だけじゃ到底この勢いを止めることなんてできないんです。
まあ私は負け組なので何もできないんですけどね!
これからどうしようかな!
コネもないしな!
環境系に進みたいけど化学は無理だし環境NPOで企業の教育とかするのも嫌だしみたいな話をしてたら
食品の品質管理とかどう?って言われました。
あんまり環境環境って視野を狭くするんじゃなくて。
食品は環境にも結びつきが深いし、水質とか土壌とか添加物とか色々できるんじゃないかと。
一応普通の企業も考えてはいたけど、食品は思い浮かばなかったなー。
一番の収穫は、
食品の品質管理という立場から国の原子力政策に反対できるのがわかったこと。
チェルノブイリのせいでヨーロッパの大地は放射性物質に汚染されてしまった。
その土地でできる食物からは多少なりとも放射能が検出されていて(私の大好きな輸入ワインやチーズにも勿論含まれている)、しかしそれでも現地の人は自分達の土地と付き合っていく覚悟をしてる。
でないとどうしようもないから。食糧生産をやめることなんて、毎日の食事の上でも経済の上でもできるはずがない。彼らはしなくていい覚悟を強いられ、負わなくていいリスクを負わされている。
日本の大地も同じようなことにしたいんですか?
日本で採れる牛乳や、野菜や、卵や、肉や、魚。
私達は食べなければ死んでしまうのに、生きるために食べるのに、
ごはんを食べたら死んでしまう、どうしてそんな世の中にしたがるのか!
という、とてもわかりやすいロジックが組み立てられることに気づきました。
「安全に安全を重ねて・・・」と言われるかもしれないけれど、完璧な安全なんてない。
チェルノブイリだって安全に安全を重ねていたはずだ、少なくとも対外的には。
どんな政策にも完璧はない。
そのためにオルタナティブがある。
日本は、安全です、安全です、と言いながら、たった1つの政策をひたすら推し進めていく。代替案なんか考えずに。その政策が失敗する可能性を頭の中から追い出して。
そうして積み上がった今の社会は何だ?
ネタ的な言い回しだけど、「誰が得するの?この世界。」
今儲けてる人だって、最終的には得しないよ。自分で自分の首を絞め続けている。
ちょっとだけ、ちょっとだけだけど、
どこかの原子力発電所がチェルノブイリみたいに放射能撒き散らして甚大な被害が出てしまえばいいのに、と思っている。
そしたら、四大公害病のときみたく、メディアはばんばん報道するだろうし、我らが貧弱な公共圏も強くなるだろうし、政府も方向転換せざるをえなくなる。
日本はいつも「起こってから」じゃないと動かない。
私みたいな社会不適合者はその事故で死んでもいいからさ、頼むから盛り上がってくれよ、世論。
ほんと、大切な人が死んでからじゃ遅いんだからさ。
畑で採れる野菜を食べてた子どもが白血病になって苦しみながら死ぬとかさ、水俣病の二の舞だよ。
お母さんは子どもに栄養とらせようと必死になって野菜食べさせて悪化させたりするんだ。もうそんなの聞きたくないよ。
「あそこでとれたものを食べると死ぬ」とか言われて農家は生活さえままならなくなって、近隣住民は「その子が病気になったって知れたらうちの野菜も売れなくなるんだ!絶対病院に連れて行くなよ!」なんて言われたり、親が発症したら子どもが「病院に行ったら親子の縁を切る」とか言い出すんだぜ。
全部水俣で起きた本当の話だよ。今は昔ほど閉鎖的じゃなくなったといっても、農村の実情は私達にはわからない。歴史は繰り返すかもしれない。
というか、青森県六ヶ所村の構造は水俣病にとてもよく似ていて
(水俣:チッソ工場で働く人やその家族が多く、村人のほとんどがチッソと何らかのつながりを持っていた→表立ってチッソに抗議できない
六ヶ所村:核燃サイクル施設で働く人やその家族が多く、村人の多くが日本原燃グループと何らかのつながりを持っている→表立って核燃サイクル政策に反対できない)
さらに悪いことに、核燃サイクルは国からがつんがつん背中を押されている状態。電源三法交付金もあって自治体も今更反対なんて言えない。六ヶ所村だけじゃ到底この勢いを止めることなんてできないんです。
まあ私は負け組なので何もできないんですけどね!
これからどうしようかな!
コネもないしな!
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